2019年7月30日火曜日

パレスチナの歌

中世音楽実践コースで「パレスチナの歌」という曲を練習している。
ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ(1170-1230)というミンネジンガーが作ったもの。「十字軍の音楽」でのデイヴィッド・マンロウの録音が有名。

ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデはフリードリヒ2世(神聖ローマ帝国の方ね)の率いた第6次十字軍について行き、エルサレム入りした時の感動を歌ったもの。フリードリヒ2世はイスラム教徒もたくさん住んでいたシチリア生まれ。軍事力は備えつつもイスラム教側と交渉を行い、戦わずしてエルサレムを取り戻した。血を流すことをせず交渉で目的を達する、現代では拍手喝采となる行為であるが、当時はキリスト教国からのブーイングを腐るほど受けたということである。今では早すぎた近代人と思われているみたい。

ミンネジンガーとは、トゥルバドールやトルヴェールと同じく吟遊詩人と訳されることが多い。吟遊詩人っていうと旅芸人だと思う人も多い。でも旅芸人というのは何処かで覚えた歌を歌ったり、楽器を演奏したり、大道芸人的な芸をしたりする人のこと。楽譜を読んだり、詩を書いたりはしないらしい。
ミンネジンガーや、トゥルバドール、トルヴェール達は詩を書いてメロディを作る。楽譜には残さなかったようだけど。今残ってるメロディは、後の人が後世に残すために楽譜化したものらしい。詩人なので、言語を操る人ということだ。

僕らは旅芸人のごとく、それを演奏する。
クラシック系の教室や講座ではほとんどやらない即興演奏をする。これがなかなか面白い。イントロを即興で入れてメロディを全員で弾いた後に、インプロ(アドリブって一般にいうやつです)を順番に回していく。

こういうのって譜面読めないロックやフォークの人は案外得意です。ジャズの人はいうまでもないな。

でもクラシック系の人はあんまりやったことがない。慣れていない人は字余り(ちょっとフレーズが長くなったり)になったり、ちゃんと終われなかったりする。
でも、少しの決まりを守るだけで、すごく聞きやすくなる。

この曲はコードの音楽ではないので、モードで演奏する。この曲では第1旋法。マイルス・デイヴィスの「So What」と同じドリアン旋法ってやつです。D音で始めて、4小節(ブレヴィス4つ?)でフィナリス(トニカ)のD音で終わるようにすると大体いける。C音で終われるところもあるけど、大体はC音の後はD音を弾かないと気持ち悪い。途中でドミナントのA音を頻繁に聞かせておくと、D音に落ち着ける、とか。

音域は1オクターブちょっと。聖歌などではいいメロディは1オクターブに収まるといわれているらしい。下から来て最高音をB音にするときはフラットをつけた方が耳馴染みいいとか初めて知った。ラの上のファ。こんな風に使えるんですね。

第2旋法の使い方も教えてもらったけど、これはなかなか難しい。うまいことD音の下に潜り込めないし、ドミナントのF音をどう使ったらいいかいまいちわかっていない。まあ、いろいろと試して見るしかないんですがね。

旋法ってよくわからんかった。Dがフィナリスじゃないように見えるのに第1旋法ってどういうことなん?って思ってたりしてたけど、Gをフィナリスにする第1旋法ってのもあるんですね。こういうのが本からは読み取りにくい。書いてあるんやろうけれども。
旋法、ちょっと使えるかも、って思い始めてる。まだわからんところはいっぱいあるけど。

即興も、やりだすと延々とやってしまうな。同じようなフレーズばっかりになるのをなんとかせなあかん。もっと考えてそれを反映させるようにせなあかんな。ただ弾いてるだけじゃできるようにならない。
習いに行くと、どういうアイデアで、それを実践に反映させるとこうなる、ってとこまで教えてもらえる。

まあ、面白いのでみんなもやってみて!

2019年7月19日金曜日

ブルクハルトとル・ゴフ

中世ブームが去年(いやいやもっと前かな)から来てるんやけども、ルネサンスにも同じように興味があるのです。

だいぶん前に買っていた本、ブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」(ちくま書房)の文庫版が出版されましたねえ。持ってるので買うかどうしようか迷いましたけど、買いました。持ってても重すぎて電車では読めず、家で読もうとしても眠さに負けて読んでなかったのですよ。文庫はいいですねー。
始めの章は中世からルネサンスにかけてのイタリアの政治状況を書いたもの。
15世紀末から16世紀始めのあたりに、教皇アレクサンドリア6世と、息子のチェーザレ・ボルジアのことが書いてあった。これが僕の知ってる(というか始めに読んだ)塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」と反対の書き方なので非常に面白く読んだ。

ブルクハルトは、アレクサンデル6世と息子のチェーザレの行った、教皇領を力で制圧することには否定的。塩野は一般的にそういう評価だということを知りつつ、両者を悪者としては書いていない。むしろ、チェーザレは一般市民にも歓迎されるように振る舞ったことを書いている。

ブルクハルトは、政治家というか統治者を結構悪く書いている。僕らが漠然と思ってたことはこういう学者たちの見識の影響が大きいのかな。そういう前提があるから塩野七生の書いていることが面白く思えるのですね。

あと、上巻では「機知」について書いたところがある。イタリアのルネサンス人は何か素晴らしいものを見せられた時や聞かされた時に、いかに素早く嫌味を言えるかが、その人の頭の良さを誇ることになるって。特にフィレンツェはそんな奴が多かったらしい。
それから、人文主義者のこと。大変もてはやされたけど、だんだんと人々の不興をかうようになり、没落していったとか。

下巻は「祝祭」のこととか、イタリア人の「悪」についてとか、宗教をどう思っていたかとか、とにかく面白い内容です。
魔法とか魔女とか降霊術、占星術など、どれも取るに足りない内容といいながら、結構なページ数が割かれている。気に入っているみたいやな。

音楽のことに触れているところもあったけど、それはイマイチな感じやったかな。訳のせいかもしれないけど、「弦楽四重奏」って聞いて、ヴィオールのコンソートを思い浮かべないでしょう。そんな感じ。

でも、そのブルクハルトを批判している人物がいます。フランスの歴史学者、ジャック・ル・ゴフです。著書の「中世とは何か」の中で、ルネサンスと中世のあいだに時代区分を定着させた人物がブルクハルトである、と言っています。

ル・ゴフの考え方は中世は15、16世紀ぐらいまで続くとみていて、その中に複数のルネサンス(古代回帰運動)があったとしています。カロリングルネサンス、12世紀ルネサンス、そして一番新しいのがイタリアで興ったルネサンスということ。
これはあんまり僕らにはピンとこないけど、こっちの考え方の方が自然やなという気もする。ルネサンスがおこっていたのは一部の地域で他のところはなかったり、遅れてきたりもする。歴史に境界線は引けませんね。

音楽のことを考えるとなるほどと納得しますね。中世とルネサンスってそんなに変わった感じがしない。中世の延長線上にルネサンスがある、って思うと自然に感じます。ルネサンス終わり頃から和声感のある音楽が主流になってきて、バロックにつながっていく。

ル・ゴフ、もうちょっといろいろ読んでみたい。

2019年7月15日月曜日

デュファイとオケゲム

古楽講習会発表用の資料を準備している。

デュファイのシャンソンを6コース用のリュートで弾けるようにインタブする、というもの。発表としての内容の充実度はあんまり濃くないけど、あんまりこんな話も講習会ではやらないのでいいんとちゃうかな。

で、デュファイの曲はこれ。
「Quel fronte signorile in paradiso」


カノニッチ写本に収録されている。
これをまず、トランスクリプション楽譜にして、ムジカフィクタを考えて、それをリュート用のタブラチュア譜にしていく。
結構うまく出来たと思うな、われながら。

これをT先生に提案したところ、「デュファイやるんやったら、スピナチーノのリュート曲集にオケゲムの編曲が参考になるんちゃうかな」って教えてもらってそれも調べる。

Libro primoの方に1曲見つけたけど、弾くのが結構難しい。ちゃんと見てないけど原曲に無い音で埋められている感じがするなー。ちょっと、そーっとしとこう(笑)。

それでLibro secondの方を見ると、ここにも1曲、オケゲムのものがあった。
「Malor me bat」という曲で、原曲を調べてみると「オデカトン」に収録されている。
スピナチーノのリュート曲集は1507年出版、初めての印刷されたリュート曲集。一方「オデカトン」も初めて印刷された楽譜集ですね。1501年出版。

これは調べてみたら結構面白かった。
これも、まず「オデカトン」からトランスクリプション楽譜を作って、その音符をタブラチュア譜の各音に当てはめていった。音符の詰まっているところは省略されているところもあったけど、ほぼ一致。
タブラチュアの間違いと思われる箇所が3箇所、原曲に書いてない音も少々あったけど、だいたい同じやんね。まあ、当然といえば当然なんやけど。

この作業をやることによって、フレーズ感というか、こういう塊になってるよな、ってところが明らかになりますね。タブラチュアだけ見てても気付かないな、これは。

やった人だけが味わえる充実感です。へへへ。
でも、こんなことやってるヒマな人いないよね。。。

2019年7月5日金曜日

アンサンブル・オルガヌム

5月ぐらいから精神的に調子を崩していたんですが、だんだん戻ってきたかな。
調子悪かったときはあんまりCDも聴いていなかったのですが、ちょっと調子よくなってきたあたりから単旋律LOVE!になってまして、それならアンサンブル・オルガヌムですよね。

持ってるCDを順番に聴いています。
まずは、これ。

「シトー修道会の聖歌」
グレゴリオ聖歌なんて流行っているものをこのグループが録音するはずがありません。でも、他の聖歌は録音してるんです。これも、その一つ。
シトー修道会が11世紀に自分たちで改竄、または新しく作ったという、グレゴリオ聖歌とは違うものです。
西洋音楽の原点って実はこういう音響やったのか、と思わせてくれる。「癒し」を求める人にはちょっと厳しすぎるかもしれませんが、僕は聴いていて心地いいですな。最近の一番のお気に入り。




「ノートルダム生母聖誕祭ミサ曲」

13世紀のノートルダム楽派の生母聖誕祭のミサ曲です。最近買ったディスク。
あんまり詳しいことはわからないのですが、ノートルダム楽派の音楽です。
12〜13世紀、ペロタンとレオナンが有名ですが、ミニマルミュージック的な感じのする音楽だと思っていたけど、このディスクはそうでもない。音価のモードに当てはまらない感じ。いろいろあるんやな。









「 コンポステラ」

カリクストゥス写本から。12世紀。
サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の案内書であって、曲も収録されている。写本をダウンロードしたけど見ても読めない。音の高低は書いてあるけど、どれだけの長さかはわからない。このへん、好みなんやけど誰か教えてくれへんかな。

このディスク聴いてるとよく眠れそうな気がする。










「ミサ パンジェリングヮ(ジョスカン・デ・プレ)」

もうルネサンスです。ジョスカン・デ・プレ作曲のミサ曲。これは、アンサンブル・オルガヌムと双璧をなす変態コーラスグループ、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルと合同で録音されています。フランスの合唱グループってどれも個性的。
ルネサンスのはずなんですが、なぜか中世っぽい単旋律の部分が結構長く録音されていて、それと多声のルネサンス的な部分が対照をなすいい録音です。ジョスカンの時代はまだ半分中世だよ、ということやろか。




「レクイエム(オケゲム)」

これはルネサンスの初めごろ。オケゲムはデュファイより10歳ぐらい若いのよね。デュファイとジョスカンの間をつなぐ、なんてよく言われますよね。
おっさん歌唱の間にボーイソプラノが登場します。なんでこんなことするのかな。やばいやんか。泣いてしまうやんか。






「ノートルダムミサ(ギョーム・ド・マショー)」

このディスクは中古CD屋に売ってしまった。あー、売るんじゃなかった。マショーのノートルダムミサは、アンサンブル・ジル・バンショワ盤とディアボルスインムジカ盤の2枚を持っていて、聴けるといえば聴けるんですが、やっぱりお経みたいなアンサンブル・オルガヌム盤も聴きたい。
あの地鳴りのような低音を聴きたいのです。
中古CD屋で買い直そうかな。今、お金ないしな。。。




こう見るとアンサンブル・オルガヌム、結構買ってますね。あと持ってて紹介していないやつが2枚ほど、売ってしまったものも数枚あったはず。買った当時はピンときていないことが多かったけど、今は情報がありますからね。あとで勉強してなんとか追いつけるんですよ。いい時代になりました。