なんか、ブログの閲覧件数、少ないなあ。
結構、良いこと言ってるんやけどね。
もっと少なくさせるために、「精神分裂病」とか「権力」の話。写真もないよ。
最近、ジル・ドゥルーズの本を読んでいる。これは僕が就職したての時とその後ぐらい(90年代中頃)にニューアカデミズム(浅田彰、中沢新一など)の人の本を読み、その源流は何かと調べたら!これがまたジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの狂著、いや共著の「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」(「千の風になって」とはいっさい関係ありません。)。この2冊、買ったのはいいけど(どちらも7千円ほどしました。。。)全然読めませんでした。。。
それを、ここ最近、ちょろちょろとほじくり返しているわけですわ。
で、読んだ(読んでいる)のが「ディアローグ」「記号と事件」「フーコー」。この辺は、対談形式になっているものもあって読みやすい。「記号と事件」が一番読みやすかったな。ディアローグは対談と見せかけて全然対談形式でないので「うわー。。。」って思うけど、案外読める。「フーコー」は今読んでるけど、先の2冊を読んだ後なのでなんとなく読めてる。
「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」は「資本主義と分裂症」という副題がついてる。自分たちが資本主義(社会主義よりいけてると思うなかれ!)の社会にいて、統合失調症にもなってない、よかったな、と思うなよ!
現在の病気、鬱病、躁鬱病、統合失調症(精神分裂病)は現代であるからこそ、の病気なのですな。精神分裂病の症状、いや、頭で本当に考えてること、を資本主義と絡めて考えていってるのがこの著者達なのです。
書いてあることは抽象的に見えるけど、それを今勤めてる会社の今働いてるところに置き換えてみることは可能です。ほとんどの人が「そやそや!」って思うでしょう。
今の世界は「管理」社会なので、隣の人が、「こいつ、こんなことやってたで!」と上司にたれ込む。またそれをその上の上司に訴える一般社員。当然、言われた方も、「そんなことない!」という。力と力のぶつかり合い。上からの権力の行使ではなくて、まわりにある力との戦争を行っているのです。
この本達は、そういう観点で物をみているなー、というのが、今の感想です。
ちょっと前まで自分が体験してた上からの理不尽な権力と思っていたものは、上からではなくて隣からなのです。これは、よく聞いていた共産主義社会の嫌なところと似てませんか?いや、そっくりですね。
なんか、人間の嫌なところが噴出したと思われてる「共産主義」も、思った事はなんでもできると思われてる「資本主義」も、比べるところではないかもしれませんが、どっちも壁にぶち当たっています。その間を、するするーとすり抜けていく考えが必要ですね。
僕は今、働かないことでそれを試しています。が、そんなんずっと続くわけないんで、なんか他の逃走線を引かなあかんなー、という今日この頃です。(70年代フォーク調に、いやらしく、自嘲的に、閉めてみました。)
0 件のコメント:
コメントを投稿