2014年6月17日火曜日

本2冊

リュートに関する本を2冊読んだ。


1つ目は「フロニモ」W・ガリレイ著。天文/物理学者ガリレオのお父さん。ルネサンス後期ぐらいの人です。
対話形式で書かれていて、先生と生徒の会話みたいになってる。

生徒(かず子さん):あれー?リュートを弾こうと思ってるんやけど、この記号は何?
先生:かず子さん、どうしたの?
かず子:この線の上のヘンな記号がどうしてもわからないのよ。
先生:どれどれ。ああ、タブラチュアね。これはカクカクシカジカ、という訳なのだよ。
かず子:なあんだ。簡単じゃない!先生ステキ♡

みたいな内容かな、と、何となく思ってましたが、全然違いました。当時流行っていた、マドリガーレなどの声楽曲をどうやってリュート用に編曲するか、という内容。1つ1つの言い回しが持って回ったようで読みにくい〜。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
もう1つは、「リュート 神々の楽器」E・G・バロン著。

こっちは読みやすかった。途中から当時(バロック後期)、分筆で売れていた音楽家マッテゾンの悪口に変わる。いやいや、マッテゾンの「リュートってしょうもない!」っていう発言に対しての反論でした。そして後半は、正しい趣味でこの楽器を扱いなさい、あくまで自分の楽しみのために、という紳士的な解釈で終わる。結構、いいもの読んだ感じになるね。

リュートが好きな人は一度読んどいたらいいですよ。

2014年6月10日火曜日

お金があれば?

みんな、お金があれば何か出来ると思っている。でも、お金があっても出来ない事の1つに、「楽器演奏」がある。これは、自分で楽器を買って、教則本を買うか、先生に習うか、自分で好きな音楽をコピーするのか、いろんなやり方があるが、どれも、お金を出して買えない。楽器、教則本、先生、どれもお金がいるが、結局は自分である。自分が、動かない指を動くように、いい音を聞き逃さないようにしなくては、楽器を弾けるようにはならない。歌も同じ。

でも、最近はDJとして音楽をやっていく方法がある。
音とフレーズ、リズムパターンが用意されていて、それを選ぶだけで音楽が出来る(!)というパソコンのソフトや、ハードウエアが楽器の代わりとなって売られている。しかし、これに手を出した大部分の人は思っていると思うが、素材が用意されているけど、それを組み合わすセンスというものが必要なのである。

楽器演奏では、少々ヘタクソでも「ああ、よく練習したね。」で済んでいた事が、そうではなくなってきた。自分のセンスのなさを痛いというほど味わわされるのである。用意されてるフレーズを組み合わす事によって、そのフレーズの持っている良さを完全に殺してしまう。聞かない人々は用意されているフレーズが悪いと言うだろう。でも、自分ではセンスの無いのがイタイほどわかっているのである。「こんなことなら音楽をやろうと思うのでなかった。」と思うことだろう。
(もちろん、その逆の人もいると思います。そういう人はDJとして、皆に音楽を聴かせまくっていることでしょう。)

しかし、楽器演奏や自分で歌う事は、とてつもない面白さを秘めている事に気づいている人も多いだろう。私もその1人。

昔は、クラシックギターを弾いていた。(エレキギターとフォークギターもやった)でも難しい。それならば、という事でリュートを始めた。始めた時は気づいていなかったのだが、明らかに19世紀以降のギター音楽より、16、17世紀のリュート音楽の方が弾けるのである。技術的に簡単だ、ということはある。が、別の難しさもある。でも、どちらをとるかと聞かれれば、今は、リュート音楽の方である。音楽的な面白さは昔の音楽には普通にあったようだ。それを19世紀以降、僕らが生きる21世紀(and 生きてきた20世紀)では、練習曲とか、指の訓練のような音階を弾かされる事によって、音楽を嫌いになる人が多い。特に日本のピアノ教育はその傾向が強いようだ。

音楽の面白さを知っていて、物事をお金に換算するような考えに染まっていない人は、ヘタクソでも面白い音楽を奏でられる。


2014年6月9日月曜日

リュートいぢり

6コースリュートのネックとボディの継ぎ目に隙間が空いてる。
そこにタイトボンドを水でといたものを流し込んで塞ぐ。

一昨日やってみたけど、昨日はまだくっついてなかった。
今日はどうかな。

やれやれ、手がかかるな。




2014年6月3日火曜日

むかしぼくはみじめだった

ハンバートハンバートの新譜「むかしぼくはみじめだった」、これ、かなりいいです。

良い歌多いなーと思って聴いていた。よくよく聴くと、ちょっと笑えないような歌詞が多い。

「ぼくのお日さま」はコミュニケーションの下手な人の悲しさを歌う。
「ぶらんぶらん」は浮気相手と町を出て行く歌。
「くもの糸」は地獄。まわりがパッと明るくなって、その後、暗闇が来た。近くに川が流れてる。目が慣れてくるとわかった。ここは地獄だ。という内容。すぐに思い出したのは、高田渡の「こいつは墓場にならなくちゃ」。これも自分が地獄にいるという歌で、歌詞の内容がわかりにくい。作詞はニカノール・パラさん。だれだろう?これは、「渡」というCDで聴けます。ちなみに鈴木慶一プロデュース。他に「仕事さがし」「夕暮れ」など名曲多し。
あと、「まぶしい人」ってのは、どうにも追い越せない人に対するあこがれと、それゆえに否定する気持ちとまぜまぜになった複雑な心境。でも夢では友達になってる。この感じ、良い。

この人達、ちょっといろいろ聴いてみたい。アメリカやケルト風のトラッドの影響を受けているみたいで、ギターやフィドルなど、いい音。