2016年5月11日水曜日

言葉と無意識

丸山圭三郎を飲み屋で知り合った友人から「読んだほうがいいよ」と勧められた。
まあ飲みの間やからな、と軽く受け流していた。と書きたいところやけど勧められて次の日には丸山圭三郎の本を買っていた。

初めに読んだのは「ソシュールを読む」。


ちょっと前にソシュールの「一般言語学講義」を買って読んでいた。でも言語学っていうのもよくわからなかったし、本もあんまり面白くなかったので半分ほど読んだところで古本屋に売った。

そういう前提があっての「ソシュールを読む」やったんやけど、これが面白かった。
言語ってどういうものなん?っていう疑問から出発してて、ラング、ランガージュ、パロール、って分けられる、みたいな話から始まるけど、これが文化を持ったから(言語を持ったから)、人間は他の動物とは違った繁栄と大きな問題を抱えている、という考えに至っている。ソシュールは多分、そういう批判を持っていただろうと。

これだけでも十分面白かったんですが、面白い時はさらに畳み掛けたら、とんでもない方向に導いてくれる(もちろん、面白いほうへ!)ので、買ってみたのが「言葉と無意識」。


これは読み応えありますよ。「儲ける人は靴下を洗わない」(←フィクションです)みたいな本を大量生産しているという新書ですが(笑)。
新書ってバカにできないですね。いい本もいっぱいあります。

今の文化の発生状況から、「お金」「エロ」「死」にまで話は及びます。
言葉は実態ではなく関係性(差異)でしかない、というソシュールの考えに基づいて、言語とは何かを掘り下げていきます。
お金とエロを言葉の関係性から説明したところは面白いですよ。特に「エロ」。関係性でしかないからどんな嗜好も出てくる、など。

19世紀終わり頃から西洋で出てきた考え方は、インドや中国で遥か昔に持っていた哲学(中観哲学、唯識派)などの関連が指摘され、言葉を持ったがために起こった精神的な病気のことにまで言及しています。

無意識とは言語が出てきた為に現れたもの、という考えも面白く、またいろいろと納得のできるところもあるのです。

精神科や心療内科の医者はどんな薬を出したらいいかを勉強するより、こういうことを勉強しといてほしいですね。
患者の快癒より、薬屋と自分たちの儲けの為なんですかね。そんなことやってると自分もいずれ。。。まあ、現状のとおりです。

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