2015年1月5日月曜日

新春BIG対談!!! 笠原雅仁 × 小松一也「今年もやります!」

お正月も一気に過ぎ去り、もう仕事始めですね。
さて、このブログでも仕事始めとして、「新春BIG対談」をやります。
お相手はアンサンブル・プリンチピ・ヴェネツィアーニ主催の笠原雅仁氏です。専門の古楽のみでなく、民族音楽、ロック、ポップス、テクノに至るまで、音楽のどの分野でも豊富な知識を持っている、稀有な人物であります。

それでは、お楽しみください。

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(小松 以下小)あけましておめでとうございます。
(笠原 以下笠)おめでとうございます。
(小)去年はいろいろありましたね。葵ちゃんも産まれたことですし、賑やかになってきましたね。
(笠)ありがとうございます。今、いろいろ大変ですが、やっぱり可愛いですね。
(小)「いいね!」は覚えました?(※1)
(笠)いやー、なかなかやってくれないんですよ。
(小)はじめに覚えた言葉が「いーね!」だと、将来BIGになりますよ。
(笠)そうだといいんですけどね。
(小)さて、去年に引き続き、新春BIG対談を行います。よろしくお願いします。
(笠)よろしくお願いします。
※1:横山剣の決め台詞。右手を田舎チョキの形にして顎のしたに持ってくるポーズと一緒に使用する。facebookの「いいね!」とは別物。みんなもやってみよう。「いーね!」



★「リガッティの世界」

(小)去年と比べて少しはBIGになりましたか?
(笠)そうですね。あんまり変わってないですかね。小松さんは?
(小)僕は体に肉がついて少しBIGになってしまいました(笑)
(笠)お互い気をつけないといけませんね(笑)
(小)さて、去年の年末の「リガッティの世界」ですが、とても素晴らしい演奏会だったと思います。集客はいまいちでしたが、内容は非常に面白く、また17世紀半ばになってきているので、かなり耳馴染みの良い曲もあって、聴きやすかったですね。こんなプログラムをやるのはプロではプリンチピだけですよ。(※2)
(笠)ありがとうございます。演奏者もよくやってくれましたが、もっと上を目指せますね。こんなものじゃないですよ。
(小)その日、受付をやっていたのですが、客として聴きたかった演奏会でしたね。今年観たいろんな中でもトップクラスでした。古楽では去年、ル・ポエム・アルモニークを観に行ったのですが、まあ良かったといえば良かったのですが、テオルボが完全なナイロン弦の音だったり、いろいろ不満も残りました。このレベルは国内演奏家でも可能やな、って思いました。(※3)
(笠)まあ、ナイロン弦は多めに見て欲しいところですが(笑)
(小)リガッティって作曲家、全然知らなかったので、CDを探したんですよ。なんか録音されてないかなって。でも1枚だけNAXOS関連で見つかったのですが、手に入らないんです。プリンチピで録音してくれないかなあ。あ、そういえば、演奏会、録音したんでしたっけ?
(笠)はい。録音しました。CDレベルで録れています。でも発表できるレベルではないですね。
(小)なかなか厳しいですね。録音となると内容というか、やり方を変えないといけないですね。
   でも音楽は生で聴くのが一番面白いですし、演奏者もそうなのではないでしょうか。
(笠)そうです。本番は何が起こるかわかりませんからね。どう転んでもなんとかするのがプロの演奏家です。
※2:リガッティ:ヴェネツィアの17世紀に活躍した作曲家、歌手。モンテヴェルディの合唱隊にいたらしい。
※3:ヴァンサン・デュメストル率いるフランスの新進気鋭の古楽グループ。


昔の音楽を今やる事

(小)古楽っていう中世からルネサンス、バロックぐらいの音楽って楽譜や奏法の本は残っているのですが、実際どうやっていたのかは不明なところも多いし、本に書いてあるのが本当に行われていたのかも証明できません。まだ19世紀ぐらいの音楽だと、その頃の演奏家から指導を受けた人もいるし、その影響下にある演奏家の録音もあって、そんなに違ったこともないと思います。でも古楽は一回伝統が切れています。
これは僕たちアマチュア演奏家の問題でもあるんですが、現代の自分たちが古楽をやる意味があるのかどうか。この問題に対してどうお考えですか?
(笠)今、技術志向になっているクラシック音楽に対してのアンチとして、また音楽の本来の面白さ、聴くだけでなく自分で演奏するということも含めた音楽体験として、古楽は存在価値があると思います。
本来、バロック音楽は自分自身のものであって、コンサート形式で聴かせるものではないのですが、僕らプロ演奏家はそんなこと言ってられませんからね。
(小)こういう問題は古楽が復興した60年代から70年代に解決済みなのでしょうかね?
(笠)どうなんでしょうか。問題意識があるからやってみたのかもしれません。その過程で、ある程度解決させてたのでしょうね。
(小)ルネサンスというのは古代ギリシャの文化を復興させようとしたものですが、実際にはそれを踏み台にして新しい哲学のもとに近代にも通じる文化を発達させたものですね。ルネサンスからバロック期にかけて、顕微鏡や望遠鏡が発明され、今まで見えなかったものや地球の動きなどが明らかにされていって、また本が大量に印刷されることによって情報量がすさまじく増えた時代でした。キリスト教的な考え方の外にはみ出てしまうという問題が起こって、それをどういう風にしたらキリスト教に矛盾しないかを考える。その点においても、ミサ曲なんかは現代にはそぐわない旧いもののようにも思えますが、実際に聴くと感動してしまうんですよね。
(笠)キリスト教は今でもちゃんとありますし、役目を終えたものではないでしょう。去年、高槻教会でやった「セミナリヨの響き」の演奏会でも信者さんのお客さんが多かったですね。僕らがやってるのは、信仰とは切り離してやっているわけですが。
(小)「セミナリヨの響き」の時は、戦国時代のキリシタン音楽を勉強しましたね。音楽の本ではないですが、フロイスの「日本史」を途中まで読みました。面白いんですが長いですね。日本語訳で出てるもので12巻ありますが、それは全部ではないんですね。まだ発見されていないところもありますし。読みすぎるとカトリックに入信しようかな、と思いかけたりして。
(笠)その時代の日本でキリスト教音楽に関わった人は迷いがないので羨ましいですね。
(小)ほんと、そうですね。
(笠)その時代のイタリアではモンテヴェルディが「聖母マリアの晩課」を書いていました。去年は3回もやりましたよ。古い様式の「ミサ曲」と、その時代の最先端の様式を用いた「聖母マリアの晩課」は同じ曲集に入っているんです。これで自分の力を自慢したかったのでしょうね。あ、話がそれてしまいました。
(小)現代の状態を見ると、昔と比べて情報量の多さとスピードがくらべ物にならないほどです。音楽以外の分野では、数学のカオス、フラクタル、トポロジー、物理学の量子力学、相対性理論、哲学のポスト構造主義など、非常に複雑なものを扱っています。音楽も現代音楽なんかはそれらと同時進行的なものとなっていますね。どれも単純なモデルはなく力と力の関係性を探る、といった一般人には理解しにくいものです。
(笠)古楽は絶対者である指揮者に従うのではなく、個人と個人の関係性、または弾く人と聴く人の関係性を非常に繊細に求めます。そういうところでは現代にアピールしていくところがあると思います。
(小)そうですね。ポリフォニー音楽って複雑ですよね。同時に鳴る音の関係性でもありますし。
(笠)現代は複雑ですが、お互いの関係性がなくなってきていますね。ラーメン屋や居酒屋でも個室化されたところもあるし。技術の恩恵は受けても、他とは関わらないという。そういうところをもう一度、昔の音楽に触れることによって関係性を回復していけたらいいんですが。
(小)バロック音楽の音と音の関係性はいろんなものに置き換えてみることができますね。和音はルート音の倍音を重ねてできています。そいう意味ではルート音が一番強いのですね。人間社会でもいろんなグループがあって、やはりその中で一番発言力の強い人がいる。しかし、その人がちょっと別の場所に行くと構成員は同じなのに強さが変わったりしますね。会社では力があって威張ってるのに、飲みに行くとお酒が強い女の子に説教されたり、とか(笑)
(笠)音楽はずっとルールに従いつづけています。でも、ちょっと外れてみようというのが、昔の作曲者には強力に感じられますね。一見、協和している感じでも、次の音に移るある一瞬だけ甘い不協和音程が聴こえるんです。
ルールというものは大切なのですが、外れないと面白くならないんですよ。今の時代は、ルールから外に出ない生き方が多数です。合奏しているときも、無難にまとめようとします。でもそんな音楽ならやらない方がましなんです。
(小)今の商業音楽はまさにそうですね。実際演じている人は歌ったり踊ったり、大変な努力です。でもそれを企画する側が「この枠から絶対に外に出ちゃダメ!もし出たら仕事あげないよ。」みたいな雰囲気を作っていて、演者もそれを察してやらないという悪循環です。そういうのって演者は楽しいのですかね。ブラック企業で働くのと同じですよね。
(笠)昔風に言うと「悪魔に魂を売った」人でないとできない仕事ですね。

コラボ

(小)嫌いな言葉で「コラボ」っていうのがあるんですが、昔、その言葉(コラボレーション)を聞いた時って新鮮だったんです。それを略して「コラボ」。略したのが悪いのではないけれど、それの内容のなさには凍りつきます。
(笠)変なものの組み合わせが多いですね。
(小)そうなんです。音楽で「三味線とジャズがコラボ!」とか。
(笠)それで1ジャンルつくっていくだけの気合があればいいですけどね。コンセプトも何もない空虚感だけを感じますね。でもそういうコンサートには人が入る。これ、どういうことなんでしょうか?
(小)文化的な低さを感じますね。低俗番組とされた「8時ダヨ!全員集合」の方がよっぽど面白いですよ。
(笠)そこは比べるとこじゃないですけどね(笑)
(小)まあ、そうなんですが(笑)でも、コラボしといて内容は無し。やった本人たちも「新しいところに行けた」とか言って、それを聞いた人も「よかった」なんて言ってる。そういう音楽界の状況を誰が作っていったのか。音楽業界のやつらですね。もちろん今、いろんな音楽が聴けるのは彼らのおかげかもしれないですが、こんな状況にした責任を取ってほしいです。
(笠)ただ違うものを持ってきて合わせればいいものではないですね。僕も、民族楽器の人とやったことがありますが、お互いの違いを尊重しつつ、接点を探っていく感じですかね。南米にヨーロッパ音楽が入ってきたときはそういう事がいくつも起こっています。ギターみたいな弦楽器を現地で作ったのもありますし、タンゴやフォルクローレなどもヨーロッパ音楽の南米なりの消化の仕方です。
(小)そういえば、「チンドン」「ジンタ」もそうですね。日本の西洋音楽の消化の仕方であり、さらに軍楽隊員が職を失い、宣伝業と結びついたという。
12月に今泉さん主催(Cantoima主催)の「英国とケルト」は面白かったですね。日本とイギリスの関係や古楽と民族音楽の違いや似たところなど、上手い見せ方でした。
(笠)混ざっていくのは別に悪いことではないですが、その時だけの話題性をくっつけたものは嫌ですね。お互いに影響を及ぼし会って変化していくこと。
(小)まさに関係性ですね。

今年は

(小)さて今年ですが、どんな演奏会を考えていますか?あ、ロームシアターの冠公演があるのでしたっけ?
(笠)あ、ロームシアターは2016年5月6日です。ロームシアター京都オープニング期間の冠事業としてプリンチピの公演があります。「京都、聚楽第、幻のキリシタン音楽」です。ちょっと恥ずかしいタイトルですね(笑)
(小)あ、来年でしたか。失礼しました。タイトルはこのぐらい恥ずかしい方がいいかもしれませんよ。戦国時代とキリシタン音楽の組み合わせはこれから本格的な内容のものにしていってほしいですね。今年の12月の自主公演の方は何をやりますか?
(笠)南米ものを考えています。
(小)楽しみです。今日はどうもありがとうございました。
(笠)ありがとうございました。


注)この対談はフィクションです。実際に飲み会で話されたことやブログなどで取り上げたもの、小松の頭の中の妄想などを再構築したものです。一応、笠原氏監修です。

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