2014年10月26日日曜日

クラヴィコード

最近、何かちょっとしたコンサートや、展覧会など、すごい少人数のを行くようにしている。ほとんど、阿倍野。なんか釜ヶ崎が近づいてきているような、嫌な(でもないかもしれないけど)予感のなかでも、結構当たりがあるものである。

今日は、阿倍野の流流(るる)という喫茶店でのライブに行ってきた。
ここに出ている人達は弾き語りが中心。昔のフォークと違って、ジャンル分けできない感じの人が多い。

今日は2組。
1人目は、ギター弾き語りの安井淳さん。
文句なしに上手い。でも、年齢の差か、共感はできなかった。歌詞、歌い方、どれも悪くないけど、共感できるかどうかは別である。けなしているのではない。僕の心に響かなかっただけ。他の人には届いていると思う。それだけ、ちゃんとしたものであった。

2人目は、クラヴィコード&ソプラノサックスという、文面だけでは怪しい感じしかしない内田輝さん。(すみません。。。)でも、これが今日の本命。


素晴らしかった。照明無しにして真っ暗闇の中で始まった。ソプラノサックスのインプロヴィゼーションから始めて、クラヴィコードを弱音で弾き始める。もともと音量のある楽器ではないので、弾いてるかどうかわからない。こちらも耳をすます。するとだんだん何を言っているかが聴こえてくる。中世ヨーロッパの感じを持ちながら現代的要素もちらちらと聴こえる。たっぷり弾いた後、またソプラノサッスクに戻る。バッハ(かな?)の曲を取り入れながら、いい感じに1曲目が終わる。20分ほど経過している。聴いているあいだ中、夢なのか現実なのかわからないビジョンを何度か見て、ハッとして現実に帰ることを繰り返していたことを覚えている。

あと、バッハのチェロ組曲1番のプレリュードと、インプロをもう1曲。バッハでは、普通そこで切るのはおかしいでしょ、というアーティキュレーション。でも、これでしか成り立たないでしょ、と言っている。そう思う。

観客に聴かせることを目的としていない音楽。本人もそう言っていた。舞台から音が聴こえてくるのではなく、天井から、自分の内面から聴こえてくるような音、音楽であった。

古楽をやっている者からすると「ファンタジーだけの音楽」という批判も聞こえてきそうだが、それを吹き飛ばす強い説得力があった。聴きに来ていた人達は、古楽の知識もなく、また、それをちゃんと聴いたこともないだろう。しかし「これはよかった!」という空気で満ち溢れていた。口に出さないでもわかる。

いい演奏の後は気持ちがいい。

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