今日はいい日だった。
朝、メールを見ると「ペンギンは空をめざす」の第6話が。今度の「おはなしえん」の演目。それにこれから音楽をつける。わくわくするような仕事。
電車に乗っているときに読んでいる「月刊佐藤純子」。震災の後のことを描いた漫画が載っていて、そのときのいろいろな思いに感動。いつものような、なんでもない事を愛おしく思う内容に感動。
その後CDショップを冷やかしに。
小沢健二ニューシングル「流動体について」。
理科系的なタイトル。なんと19年ぶり。
サイズが昔のドーナツ盤ぐらいのサイズなので、CDなのかアナログなのかが判別しにくい。
ポップと対照的なタイトルにすることでよりポップ感を出すんやろなー、と思いながらCDショップの視聴コーナーで聴いてみた。
途中の間奏のとこまでヘッドホンを離せなかった。涙が出そうだった。間奏のとこにきたので、泣く前にヘッドホンを外し、別の売り場に行った。
しかし数分後にはそこに帰ってきて、もう一度聴いた。最後まで。もう泣きそうだった。というか泣いていた。
何に感動したのだろう?それはまだわからない。視聴コーナーの横に発売日に朝日新聞に掲載されたCD発売の広告と、小沢健二が書いた文章があった。
文を読んで泣いたのは、前はいつだったろう。思い出せない。ひょっとして泣いたことなどなかったのではないか。いやいや泣いたはずだ。でも思い出せない。
泣かそうとして書いた文章ではないと思う。
自分は今、こう思っている。日本の作るものはハイレゾリューションだ。(高解像度だ。)いろんなものがすべすべしている。密度が濃く、荒くない。そういう文化を、遠い昔から、悲惨な戦争の時期をも経て、今も持っている。僕は、その、気の遠くなるような文化の歴史の途中に生まれた。その文化を普通と思って先人の音楽を聴き、自分の音楽を作ってきた。アメリカに住んでいるけれど、それは変わらない。
といったような内容だったと思う。
もし今、手に入るのなら、その新聞広告の記事が欲しい。
泣かそうとしている文章を読んで泣くことはあるが、こんなに泣かそうとしてない文章で泣くのは初めてなのだろうか。音楽と一緒にあるからか。
「流動体」は何を意味するのかが、朧げながらわかる。
なにか、自分の中で消化できないような大きいテーマのような気がする。
今の日本では政治的なことに結びつけようとするけど、その事がちっぽけに思えるような。
もっともっと後ろに引いて物事を見ているような、神の目線のような。
もっともっと大きく広い、なにか。
ときは21世紀。しかし400年ほど前の音楽を愛する人達がいます。今のクラシック音楽の祖先であり、生命感にあふれ生き生きとしていた頃の音楽。それにからめて演劇や美術や面白いものを書いていきたいと思います。
2017年2月23日木曜日
2017年2月18日土曜日
月刊佐藤純子
年末、本屋をひやかしていると、ある本に目がいった。ちくま文庫から「月刊佐藤純子」という本が発売されている。平積みされているよ。そんなに売れているのか?
手に取って見てみた。漫画だ。
なあんだ。漫画か。と思ってそのときは平積みに戻した。
それから本屋には何度も行ったが、そのときは忘れているが、平積みされているのを見つけると、また手に取ってみる。なんだかどこかで見たような絵であるけど、思い出せない。なんか気になるな。
で、買ってみた。帰りに少し読んでみる。内容は変わったとこもなく日常をそのまま描いている。でも、なんだろう?何回も見たくなる。なぜか昭和感の漂う絵。上手くはなさそうだが、動きは確実にとらえてる。それに、ユルい。
作者の佐藤ジュンコさんは元は大手の本屋に勤めてた。今はイラストレーター。年賀状の返事の代わりに漫画を描いて友人知人に押し渡しするようになり、なんと出版されることに。初版はもう売り切れ。去年からは筑摩書房で文庫化されて、大多数の人の目にふれるようになったらしい。
ネットでも、みんなのミシマガジンの「女のひとり飯」連載中。
ちょっといろいろ読んでみるよ。
手に取って見てみた。漫画だ。
なあんだ。漫画か。と思ってそのときは平積みに戻した。
それから本屋には何度も行ったが、そのときは忘れているが、平積みされているのを見つけると、また手に取ってみる。なんだかどこかで見たような絵であるけど、思い出せない。なんか気になるな。
で、買ってみた。帰りに少し読んでみる。内容は変わったとこもなく日常をそのまま描いている。でも、なんだろう?何回も見たくなる。なぜか昭和感の漂う絵。上手くはなさそうだが、動きは確実にとらえてる。それに、ユルい。
作者の佐藤ジュンコさんは元は大手の本屋に勤めてた。今はイラストレーター。年賀状の返事の代わりに漫画を描いて友人知人に押し渡しするようになり、なんと出版されることに。初版はもう売り切れ。去年からは筑摩書房で文庫化されて、大多数の人の目にふれるようになったらしい。
ネットでも、みんなのミシマガジンの「女のひとり飯」連載中。
ちょっといろいろ読んでみるよ。
2017年2月17日金曜日
女の人は
女の人ってなんで習い事をいっぱいやるんやろ?と思ってた。一度にそんなに多くのことを上手くできるようにはならないのに、と。
最近、考えが変わってきた。習い事が複数あるということは自分の仕事以外に趣味が多いということ。どれか1つがずば抜けてできなくても同時にいろんなことができるのは、実は「豊か」だということなのではないのか。
会社一筋の人は逆に男が多いみたい。会社に入って、その会社がやっている事業に関連のあることや経済のこと、これらに詳しいのはやはり男。でもそれ以外のことは全然知らない。趣味と言ったらゴルフ。まあ、最近は変わってきているのかもしれないですが。
僕は中学時代から弦楽器(弓を使わない方)をやってきた。初めは家にあったウクレレ。次にギター。社会人になってからはリュート。どれも弾き方は似ているし、方向は同じの楽器のような気がする。
それでも弾く音楽は違うのだから、いろんなことを調べなきゃいけない。調べてたら同時にそれ以外の他のことも知るようになってくる。他のことをなんとなく知るようになると、音楽と全然関係ないと思ってたことも、実は関連があることを発見したり、いろんなことが結びついてきて、すべて理解できた!というような体験をすることがある。実際には「すべて理解」ではないのですけど、そのときはそう思う。
これは「豊か」な経験なのだ、と思う。僕はこれがギターを数十年やって、やっと発見したのです。
女の人は、そのことを無意識にわかっているのではないかな、と思うようになってきた。
もともと「豊か」な存在なのですね。女の人は。リスペクトします。
最近、考えが変わってきた。習い事が複数あるということは自分の仕事以外に趣味が多いということ。どれか1つがずば抜けてできなくても同時にいろんなことができるのは、実は「豊か」だということなのではないのか。
会社一筋の人は逆に男が多いみたい。会社に入って、その会社がやっている事業に関連のあることや経済のこと、これらに詳しいのはやはり男。でもそれ以外のことは全然知らない。趣味と言ったらゴルフ。まあ、最近は変わってきているのかもしれないですが。
僕は中学時代から弦楽器(弓を使わない方)をやってきた。初めは家にあったウクレレ。次にギター。社会人になってからはリュート。どれも弾き方は似ているし、方向は同じの楽器のような気がする。
それでも弾く音楽は違うのだから、いろんなことを調べなきゃいけない。調べてたら同時にそれ以外の他のことも知るようになってくる。他のことをなんとなく知るようになると、音楽と全然関係ないと思ってたことも、実は関連があることを発見したり、いろんなことが結びついてきて、すべて理解できた!というような体験をすることがある。実際には「すべて理解」ではないのですけど、そのときはそう思う。
これは「豊か」な経験なのだ、と思う。僕はこれがギターを数十年やって、やっと発見したのです。
女の人は、そのことを無意識にわかっているのではないかな、と思うようになってきた。
もともと「豊か」な存在なのですね。女の人は。リスペクトします。
2017年2月15日水曜日
いい音楽は。。。
「いい音楽というのは裏の情報が豊かなんですよね。その音楽が生まれたバックボーンやルーツを、この年になるとより一層強く感じるようになる。自分のオリジナルなんてどうでもいいと思うほどに。だから古い曲をカバーするのが好きなんです。知ってもらいたいんです、こんなにいい曲があるんだよって。」
細野晴臣のインタビューで言ってた言葉。
「いい音楽ってのは裏の情報が豊か」っていうのは本当によくわかるな。その人の音楽からは直接はわからなくても、そういう匂いがあると「いい」と思う。
昔の音楽を調べていると、新曲なんか作らなくてもいいやん、って思うことがよくある。いい音楽は腐るほどあるし、それが発酵して違う旨味を出しているものもすでにある。
ブログに自分の練習した内容をあげている人がよくいる。そんなの読んで人が面白いん?と懐疑的だった。下手に出て控えめに書いているけど、読む方はそうじゃなくて、なんで練習の多さや内容をそんなに自慢すんの?自分はそれを言うことによってちょっと上に出てるんやろ?って思ったり。
でも、こういうこと(いい音楽は裏の情報が豊か)を考えてみるとそれもわかる気がするな。自分はその世界ではまだまだヒヨッコで、昔の楽譜や録音からこうした方が面白いとわかってきた、嬉しい!、みたいなね。それをみんなも知ってほしい、という事ね。
そう、単純に嬉しいんですよね。昔の音楽を調べると。いや、音楽だけでなく他のこともたぶん同じだろう。
それを人に伝えたくなっちゃう。でも、それをグッとこらえて素知らぬふりしとくのがカッコイイなー、と思いたい自分もここにいるのですが。
昔のことを基準にしない人もいるけど僕は信用できないな。
でも、まあ、昔のことを調べるのはほんと面白いんですよ。大抵のことは昔に一度考え抜かれて答えをだしている。その答えが現在に通用するかどうかはわからないけど、こうやって考えた、という道筋もわかる。もう一度自分でやってみることもできるわけです。
皆さんもやってみたらいいですよ。
皆さんもやってみたらいいですよ。
2017年2月6日月曜日
1965年
1月はこのブログの名前のとおり古楽の話題だけでしたね。僕ってそんなことできるんや、ってちょっと感動してます。古楽って面白いですよね。リュートと合唱の周辺しか聴いていませんがクラシックと違うところが結構ある。即興的なところもあるし、ライブはなかなか面白いもんです。
2月に入って節分のバイトに行きました。それでちょっと懐があったかくなりました。あったかくなったらする事といえば、CD購入でしょう。
今回は2枚。古楽とはちょっと違いますが、1枚目はもうポピュラー界の古楽になってるボブ・ディランの「HIGHWAY 61 REVISITED」。「追憶のハイウェイ」と日本では呼ばれてます。1965年にリリース。
このCD、実は昔に買ってたのですが、ちょっと懐がやばいときに売ってしまってました。そのときはあんまり好きなCDではなかったんでしょうな。でも聴き返すといい内容ですね。オープニングの「Like A Rolling Stone」にはシビれます。何回も聴いてるんですけどねー。やっぱりいい曲。高飛車な(?)上流階級の(?)女が落ちぶれていく様を歌っている。どんな歌詞やねん。落ちぶれて「どんな気がする?」と聞いている。
ノーベル文学賞とってどんな気がする?
貰った本人は結構困ってたみたいやな。ボブ・ディランというキャラクターとしてどう対応するか、ってね。「行けたら行くわ」って言ってた授賞式も欠席。「先約があるんで」って。かっこよすぎるわ。
このCDだけではないけどブルース色が濃い。バックにマイク・ブルームフィールド、アル・クーパーなど有名人多し。今までのフォークとはちょっと変わってきた感じがある。このディスクの前に「BRINGING IT ALL BACK HOME」が出てるけど、それくらいからドラムとベースが導入されてフォークロックと呼ばれ始めてた。音がロックよりになってきている。ビートルズの「ラバーソウル」が同年のリリース。音楽界は明らかに今までとは違ってきている、という空気だったのだろう。1965年は昭和40年。日本では朝永振一郎がノーベル物理学賞、ビール一杯120円、ハガキは5円、オバQが流行って、アメリカはベトナム戦争に突入という時代。
久しぶりに聴いたけどいい曲多い。最後の2曲「JUST LIKE TOM THUMB'S BLUES」「DESOLATION ROW」は名曲。こういうのが昔はわからなかったのかな。
同じ年(1965年)でブルースといえば、マディ・ウォーターズの「THE REAL FOLK BLUES」がリリースされてたらしい。たまたま買った2つのCDが1965年作。
マディ・ウォーターズは買ったの初めて。名前は存じ上げていたのですけど。
なかなかのおっさんブルースっぷりです。ブルースマンらしく鼻の穴から左右に広がっていくヒゲなどグッときますねえ。スケベっぷりがわかるようなジャケットです。
若いときの写真ってないのかな。このCDのジャケットは若いときなのかな?あ、1913年生まれやから、1965年ではもう52歳か!そら、おっさんやな。僕が悪かったよ。
このおっさん、シカゴブルースの親分として有名。「シカゴブルースの父」とかいわれてる。1950年代に南部から黒人がシカゴに移住したことで、シカゴでブルースが流行った。シカゴということでブルースも都会的になった。エレキが導入され、バンド形式になったのもここシカゴだという。ロックのミュージシャンが敬愛するのもわかる。グラミー賞は6回も受賞したらしい。
シカゴブルースではスター的な活躍なのですが、都会的とはいえ、歌はやっぱり泥臭くて素敵。マディウオーター(泥水)というぐらいやし。ギターも上手いぞ。
憂歌団がやってた「Rollin' and Tumblin'」も入ってる。この人の曲だったのか。このアルバムは1947年から1964年までの作品を寄せ集めたもの。アコースティックな音が中心やけど、デルタブルース時代からみると聴きやすくなってる。僕ら日本人がよく知ってるブルースってこんな感じかな。(港町ブルースとか夜霧のブルースとかは違う系譜の日本製ブルースですよ。おまちがえなく。)
1965年、この2枚が同時期に出ていたのは何だか信じられないな。マディはもっと昔に思うし、ディランはもっと新しいような気がする。
2月に入って節分のバイトに行きました。それでちょっと懐があったかくなりました。あったかくなったらする事といえば、CD購入でしょう。
今回は2枚。古楽とはちょっと違いますが、1枚目はもうポピュラー界の古楽になってるボブ・ディランの「HIGHWAY 61 REVISITED」。「追憶のハイウェイ」と日本では呼ばれてます。1965年にリリース。
このCD、実は昔に買ってたのですが、ちょっと懐がやばいときに売ってしまってました。そのときはあんまり好きなCDではなかったんでしょうな。でも聴き返すといい内容ですね。オープニングの「Like A Rolling Stone」にはシビれます。何回も聴いてるんですけどねー。やっぱりいい曲。高飛車な(?)上流階級の(?)女が落ちぶれていく様を歌っている。どんな歌詞やねん。落ちぶれて「どんな気がする?」と聞いている。
ノーベル文学賞とってどんな気がする?
貰った本人は結構困ってたみたいやな。ボブ・ディランというキャラクターとしてどう対応するか、ってね。「行けたら行くわ」って言ってた授賞式も欠席。「先約があるんで」って。かっこよすぎるわ。
このCDだけではないけどブルース色が濃い。バックにマイク・ブルームフィールド、アル・クーパーなど有名人多し。今までのフォークとはちょっと変わってきた感じがある。このディスクの前に「BRINGING IT ALL BACK HOME」が出てるけど、それくらいからドラムとベースが導入されてフォークロックと呼ばれ始めてた。音がロックよりになってきている。ビートルズの「ラバーソウル」が同年のリリース。音楽界は明らかに今までとは違ってきている、という空気だったのだろう。1965年は昭和40年。日本では朝永振一郎がノーベル物理学賞、ビール一杯120円、ハガキは5円、オバQが流行って、アメリカはベトナム戦争に突入という時代。
久しぶりに聴いたけどいい曲多い。最後の2曲「JUST LIKE TOM THUMB'S BLUES」「DESOLATION ROW」は名曲。こういうのが昔はわからなかったのかな。
同じ年(1965年)でブルースといえば、マディ・ウォーターズの「THE REAL FOLK BLUES」がリリースされてたらしい。たまたま買った2つのCDが1965年作。
マディ・ウォーターズは買ったの初めて。名前は存じ上げていたのですけど。
なかなかのおっさんブルースっぷりです。ブルースマンらしく鼻の穴から左右に広がっていくヒゲなどグッときますねえ。スケベっぷりがわかるようなジャケットです。
若いときの写真ってないのかな。このCDのジャケットは若いときなのかな?あ、1913年生まれやから、1965年ではもう52歳か!そら、おっさんやな。僕が悪かったよ。
このおっさん、シカゴブルースの親分として有名。「シカゴブルースの父」とかいわれてる。1950年代に南部から黒人がシカゴに移住したことで、シカゴでブルースが流行った。シカゴということでブルースも都会的になった。エレキが導入され、バンド形式になったのもここシカゴだという。ロックのミュージシャンが敬愛するのもわかる。グラミー賞は6回も受賞したらしい。
シカゴブルースではスター的な活躍なのですが、都会的とはいえ、歌はやっぱり泥臭くて素敵。マディウオーター(泥水)というぐらいやし。ギターも上手いぞ。
憂歌団がやってた「Rollin' and Tumblin'」も入ってる。この人の曲だったのか。このアルバムは1947年から1964年までの作品を寄せ集めたもの。アコースティックな音が中心やけど、デルタブルース時代からみると聴きやすくなってる。僕ら日本人がよく知ってるブルースってこんな感じかな。(港町ブルースとか夜霧のブルースとかは違う系譜の日本製ブルースですよ。おまちがえなく。)
1965年、この2枚が同時期に出ていたのは何だか信じられないな。マディはもっと昔に思うし、ディランはもっと新しいような気がする。
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