2018年3月5日月曜日

メディチ家

「おはなしえん」の台本をまだもらってない。なんか気ばかり焦るけど、その間に好きな曲の音を取ったり編曲したりするのは楽しいのですよ。束の間の幸せ。

「メディチ家」という本を読んでいる。森田義之著。


音楽の15世紀、16世紀は好んでよく聴いてるけど、その時代のことって全然知らんなー、と思ったのが発端でいろいろ買ってみようと。
この本はタイトル通り、メディチ家の起源、どこのあたりの出身と考えられるのか、とか、紋章の由来は?などから始まって、15〜16世紀の「黄金時代」、その後の衰退と滅亡まで(18世紀)までが書かれている。

今、途中まで読んでるけど、かなり面白い。

どうも先祖は医者か薬屋だったのではないか、というのが定説らしいです。それで紋章には丸薬が描かれているとか。

なんか毒々しい色ですね。
かなり危険な薬???

13、14世紀のフィレンツェは、なんと自由都市だったのですね。初めて知った!貴族や王が統治するのでなく、一般市民が中心となって政治を取り仕切っていたとのこと。日本では16世紀の堺が近い状態なのかな。




そんなフィレンツェで銀行(まあ、高利貸しです)をしていたジョバンニ・デ・ビッチ(1360-1429)(写真左)が政治に関わるようになってきます。
ジョバンニは敵を作らない実直な性格の銀行家であったので、味方を多く作ることができたようです。

この絵は人相は良くないですね。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくるジョバンニとは違いますね。絶対。







その息子、コジモ・イル・ヴェッキオ(1434-64)(写真右)。
彼の時代にメディチ家のフィレンツェ支配が確立します。選挙を操作したりして親メディチ家の者が実権を握るように仕向け、政敵を追い出し、メディチ家の覇権が確立。
ずばぬけた政治的才覚を持つコジモは、高い人文学的教養をも持っていた。
この頃からメディチ家の精力的なパトロン活動が行われて、今までのパトロネージから少し変わって、建築以外にも、写本を収集して図書館を作ったりします。


コジモの孫、ロレンツォ・イル・マニフィコ(1449-92)の時代には、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチなど絵画・彫刻の分野にもお金を注ぎ込みます。
あ、いや、この時代には実はお金はあんまり残っていなかったようで、制作を依頼したけど未払いになっているものが大量にあったそうです。もう銀行業はうまくいってなかったのですね。

詩人でもあったロレンツォは自分で詩を書き、歌っていたらしい。
この本には音楽のことは少ししか書かれていないけど、オルガン奏者アントニオ・スクァルチャルーピ(デュファイの同僚だったとwikiに書いてある!)から音楽を習っていたとのこと。この人の名前、知らんかった。

あと、ハインリヒ・イザークも1484年頃フィレンツェに来て、ロレンツォに仕え、ロレンツォの息子に音楽を教えたり、祭礼の為の曲を多数書いたという。(マンロウ「ネーデルラント楽派の音楽」ライナーノーツより)

(東方三博士の旅/ベノッツォ・ゴッツォリ作 メディチ家の人々が描かれている)

フィレンツェでのメディチ家の黄金時代といわれてるロレンツォの時代は15世紀だったんですね。音楽で15世紀というとデュファイとバンショワが浮かぶけど、ジョスカンやイザーク、オケゲムはちょっとだけ後の15世紀後半ぐらいなんやね。

本を読んだことで歴史認識がちょっと修正されました。
日本の古楽愛好家に足りないのは世界史の認識具合ですな。まあ詳しい人もいますけどね。学者さんとか。僕みたいなへなちょこギタリストはもうちょっと本読まなあかんな。



0 件のコメント:

コメントを投稿