2019年6月10日月曜日

ねこのねごと

「ねこのねごと」という曲がある。
高田渡が1983年に発表したアルバムのタイトル曲。

変な歌やなーと、それを買って聴いた当時は思っていた。アルバムの中心になるような感じではない。他に「おじいさんの古時計」とか「石」、「酒が飲みたい夜は」、「私の青空」など、アルバムの性格を形作る曲はちゃんとある。

でも、アルバムタイトルは「ねこのねごと」。

歌詞を聴いたら、ああ、なるほど、と思うかもしれない。
歌詞を書いたのは木島始。

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「ねこのねごと」

のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの。。。。
あのね あのよは なかなかこんなあ

のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの。。。。
あのね あのよへ みちくねくねねえ

のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの。。。。
あのね あのよに ねずみみえんねえ

のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの。。。。
あのね あのよは ねむすぎますなあ
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という歌詞。
なんとあの世を願いながらも、のほほんとした雰囲気を醸し出している。「死」と書こうとして「酢」と書いてしまったような間抜けさを合わせ持っている。
ああ、この歌詞の感じ、今(その当時)一番言いたかったことなんですね。納得。

この曲、高田渡の作曲ということになっているけれど、実は原曲があるみたいだ。
それに気づいたのは細野晴臣の「Hosonova」に収録されている「Lazy Bones」。
初めて聴いたときに「あっ!ねこのねごとや!」と一瞬でわかった。

そうなんです。これはジョニー・マーサー作詞ホーギー・カーマイケル作曲の「Lazy Bones」です。1933年作。「ねこのねごと」の50年前です。
Lazy Bone っていうのは「怠け者」という意味で、悪い意味で用いられてるのでなく親しみを込めた内容になっている。

ピーターバラカンのラジオで、最近亡くなったレオン・レッドベリーという人を知って、その人が「Lazy Bones」を録音しているのを知った。
昨日、「Hosonova」を聞き返してるときに、ライナーノーツを読んでると、「レオン・レッドベリーの録音がすごくいいので、それに近づけた」みたいなことが書かれてあって、電気ショックを受けたようになりました。ここ数日で一瞬にしてこの3つが繋がったのです。

いやー「Lazy Bones」、いい曲です。
木島始の日本語詞も英語の詞とちょっと違って、ぶらぶらとしながら「死」がなかなかこないという文句をつぶやく感じで、いいですね。

古いアメリカに見向きもしなくなった80年代の日本で、こんな曲しらんやろ?という挑戦のように、いや、しれ〜っと名曲を紛れ込ませてくる高田渡はすごいですね。その知識は息子の高田蓮にも引き継がれているみたいです。(細野晴臣の「Lazy Bones」のバックで高田蓮がドブロギターを弾いています)

今思うと、「おはなしえん」でやったらよかった。
どこかでやりたい曲です。

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