フロイスの「日本史」を読んでいる。
キリシタン大名として有名な、高山右近に関する記述が結構出てくる。
「今甦るセミナリヨの調べ」コンサートの予備知識となりそうなことを書いておこう。
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高山右近(洗礼名はポルトガル語で「正義の人」を意味するジュスト)の父であるダリオが初めにキリスト教徒となり、日本での布教活動を盛んに行った。また領民への善政、貧しい者への施しも忘れなかった。
ジュスト右近は12歳で洗礼を受け、キリスト教徒となった。その後、高槻城主となり、高槻のほとんどの領民がキリスト教徒になった。城内には教会もあり、ミサが執り行われていた。右近の領民に対する善政を行った、右近の人間的徳性がこのことを可能にさせたのだろう。
直接の主君である荒木村重が織田信長に対して謀反をおこしたとき、我が子を村重に人質として送っていた右近は村重側につくか信長側につくかの判断を迫られた。父のダリオは城に立てこもる考えだったが、右近はキリスト教の教えの通りの行動をすることに決め、密かに城を出て、信長に対して「武士をやめ、神の教えの生活をする」と宣言する。
しかし、右近が村重側に見方しないことによって、信長側の勝利となる。その後、キリシタン大名として、高槻城をまかされる。一方、態度を決められなかったダリオは福井に追放される。
その後、信長の時代から豊臣秀吉の時代になり、徳川家康の時代になっていく。その過程でキリシタン国外追放令が出され、その時に庇護されていた前田家を去り、右近はマニラにみずから赴き、そこで一生を終わる。
戦国時代〜安土桃山時代の、他人を蹴落として自分がいいところに行くという考えがまかり通っていた時代に、このような、神を絶対とした考え方をする日本人は少なかったろう。悪い時代だからこそこういう貴人が出てきたのかもしれない。
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「今甦るセミナリヨの調べ」では、この時代に日本に入ってきていたであろうと考えられる音楽と、同時代にスペイン、ポルトガル、イタリアで流行っていた音楽を聴くことができます。
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