伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4人と、あと数人の日本人がポルトガルとローマに行ったのです。キリスト教を布教しているぞ!という、イエズス会の政治的な事に利用された面もあったのですが、ポルトガル、ローマでは大歓迎を受け、当時のローマ法王に抱擁を受けたとのこと。こりゃ、すごいことです!
(また、活版印刷の技術もその時にヨーロッパで習い、印刷機とともに帰国します。)
また特筆すべきは、伊藤マンショ、千々石ミゲル両人は鍵盤楽器が上手く、ヨーロッパで、オルガン、チェンバロの腕前を披露して大喝采を受けたということ。当時、日本にセミナリヨ(神学校)が九州や織田信長が都としていた安土に作られていて、そこで音楽の講義がされていたのです。
1590年、使節団は帰国しました。当時、豊臣秀吉の政権下でキリシタン追放令が発令されていたにもかかわらず、使節団は秀吉に謁見し、音楽を奏で、歌いました。秀吉はものすごく喜び、三回もアンコールを求めたということです。
そのときに歌とともに奏でられた楽器はクラヴォ、アルパ、ラウデ、ラヴェキーニャであると、フロイスの「日本史」には記されています。おそらく、小型チェンバロ、ハープ、ビウエラ(ギターに似た撥弦楽器)、ヴァイオリンであろうということです。アンコールで、ヴィオラ・デ・アルコとレアレージョ(携帯風琴)を弾奏するように命じた、とあることから、ヴァイオリンとされていたのはヴィオラ・ダ・ガンバ(フレットのある擦弦楽器)、携帯風琴はオルガンであろうと思われます。
また弾いた曲は、推測の域をでないですが、おそらく「皇帝の歌」であろうと言われています。「千々の悲しみ」というタイトルでジョスカン・デ・プレが作曲した、当時ヨーロッパで大流行していたシャンソンをもとに編曲されたものです。
僕ら、この時代の楽器をなかなかできるようにならないのは、なんで???
ヴィオラ・ダ・ガンバ
ハープ(アルパ)
ビウエラ(ラウデ?)
オルガン
スピネット(小型チェンバロ、クラヴォ?)
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