2015年3月28日土曜日

YMO楽器展

YMO楽器展。ロフトで開催中です。去年、東京でやったやつの関西版です。

 プログラミングの松武秀樹コーナー。
E-mu(MOOGでした。失礼)。通称「タンス」。
ライブの時には、真ん中のこのブースで何をやっていたかというと、次の曲の準備!

この人がいなければYMOはなかった、というほどの重要人物。当時、シンセサイザーを輸入して持ってたのは、富田勲と松武秀樹の2人だけ。



 ちょっと遠いけど矢野顕子ブース。オーバーハイムのシンセが見える。8Voiceだったそうで鍵盤以外にでっかい音源が。
坂本龍一ブース。ARP「オデッセイ」やシーケンシャルサーキット「Prophet-5」が。これ、中学生の時、欲しかった んですよ。
細野晴臣ブース。エレキベースとARP「オデッセイ」。シンセベースはこれでやってたそう。
高橋幸宏ブース。
ドラムはよくわからんけど、ローランドのシンドラム。叩くときのリズムと音量が、機械並みに正確だったとか。

シンセプログラミングの松武秀樹氏(左)と録音技師の飯尾芳史氏(真ん中)。
YMOのLP製作時の話。
YMOの初期はアナログ録音だった。でも早いうちにデジタル録音機ができて、それを導入したけど、全員がそれで録音した音を嫌って、一回アナログで録音して、その録音したものをデジタルで録音していたそう。めんどくさー。

でも、最近のシンセもアナログが主流になってきた。アナログとデジタルの音って違うんですね。

ということで、アナログ全開の「バナナ部」は明日ライブ。YMOとは全然違うけど。

2015.3.29(日)
「流流 3月の演奏会」
▼第一部 
開場 14時半 開演 15時 
1ドリンク+投げ銭 
出演;バナナ部(ギター、アンデス25F、メロディオン)

会場:阿倍野 流流 http://ru-pe.com/

暇な人は来てね!よろしく〜。


2015年3月22日日曜日

プリンチピ友の会プライヴェートコンサート

プリンチピ友の会プライヴェートコンサートがノワ・アコルデという素敵なサロンにおいて行われました。
ここを使うのは2回目。チェンバロが置いてあって贅沢な空間です。



曲目は次の通り。

“Temprola cetra” /C.Monteverdi 「琴の調子を合わせ」/C.モンテヴェルディ
Sonata quarta/B.Marini ソナタ第4番/B.マリーニ
Capona/G.Kapsberger カポーナ/G.カプスベルガー
Kapsberger/G.Kapsberger カプスベルガー/G.カプスベルガー
Sonata settima/G.B.Fontana ソナタ第7番/G.B.フォンタナ
Chaconne/F.Corbetta シャコンヌ/F.コルベッタ
“Damigella tutta bella”/V.Calestani 「可愛いお嬢さん」/V.カレスターニ
La Bergamasca/M.Uccellili ラ・ベルガマスカ/M.ウッチェリーニ
Sonata seconda/G.B.Fontana ソナタ第2番/G.B.フォンタナ
“Non posso più”/M.Cazzati 「もう耐えられない」/M.カッツァーティ

なかなか聴けないプログラムですよ。
カプスベルガーなんて怪人風の名前ですが、いい曲書いてます。
ルイ14世にギターを教えていたコルベッタの曲も好きな曲。いつか弾いてみたい。

今回はバロックヴァイオリンのソロ曲、コルネットとのデュオ曲が華やかでよかった。あと、太鼓(フレームドラム、タンバリン)もツボをついたいい演奏。
でも笠原さんの歌ってやっぱりすごい。もう一言目に空気を変えてしまう。




みなさんも、プリンチピ友の会に入ってみよう!
お問い合わせは小松(cphmn700@hct.zaq.ne.jp)まで。

(写真は田中秀明さんが撮ってくれました)

2015年3月18日水曜日

言語学の公準

音楽に関するとても美しい文章を、電車を待つ待合室で、電車の中で、アルコールの程よい安定感、いや覚醒感に支えられつつ読んだ。
「千のプラトー」の中の章「言語学の公準」での一コマだ。

”短「調」は、そのインターバルの性格や、和音の最小限の安定性によって、調性音楽に、とらえ難い、逃走的な、非中心化された特質を与える。だから短調は、みずからを長調のモデルあるいは基準に適合させる操作に従属するという両義性をもってはいるが、調性に還元できないある種の旋法の力を優先させるのだ。あたかも音楽が旅にでかけ、あらゆる復活、アジアの幽霊、想像上の地方、あらゆる場所の伝統を集めてくるかのようだ。”

調から受ける感じ、調の持つ力を前提にして、それから逃れていく「短調」を語った文章である。20代のとき「短調」には、散々苦労させられた。ここに書いてある通り「短調」は調性を逃れていく方法である。長調の曲はバロックから近代までわかりやすいしそれゆえに弾きやすい。しかし「短調」はそれ自身が短調であることの他に、長調から逃れていると同時に調性から逃れている曲が多い。19世紀、20世紀になると、楽譜上はどの調を使っているか明らかにしているが、音にしてみるとそうではない。そういうところを非常に好きであり、好んで演奏した。

また、別の部分では、以下の様に書いてある。

”十九世紀、二十世紀にわたる広大な時代に、調体系自体に作用し、平均律を解体し、相対的な調性は保存しながらも、半音階を拡大した熱狂は、新しい旋法を発明し、長調と短調を新しい結合に導きつつ、ある種の変数に対して、ことあるごとに連続変化の領域を獲得している。この熱狂は、前面にきて、それ自体聴かれうるものになり、こんなふうに鍛えられた分子的素材によって、音に属さずにたえず音楽を揺さぶる宇宙の力までも聴かせるのだ。純粋状態の一瞬の<時間>、絶対<強度>の一粒・・・・・・調性、旋法、非調性なはもはやたいした意味をもたない。宇宙としての芸術となり、無限の変化の潜在的な線をしるす音楽があるだけだ。”

調性だけではなく平均律をも解体し、モード(旋法)に向かって行く音楽。短調の時は調性を解体してゆくだけであったが、ここでは調性以外に音律まで解体して、新たな音律を打ち立てるのである。今まで皆が当たり前のように使っていた音と音との関係を外していく。線形的にではなく動的に。この音が鳴ったと思ったら、それに合う音を次に用意するが、それは今までしてきたようではなく、もっと違うように。和声でも、みんなが知っている協和から、まだ誰も知らないけれどみんなが分かりうる協和へ。現代音楽の良さはそこにある。
マイルス・デイヴィスが1960年代に録音した音楽は未だに謎とされている。しかし、そこにはある一定の文体、エクリチュール、喋り方があり、わからないことを言われているようでも共感できる。

音楽は音の羅列であるが、決まった並び方があり決まった和声進行があって、それを出来るようになるとすべてが思いのままになるような気がする。そこから、それを複雑化しよう、それをちょっとだけ外していこう、という欲望が生まれる。脱領土化したくなる。しかし、弾けるようになったと同時に、再領土化が起こり、次に同じやり方でやると、もう白けてしまう。常に脱領土化-再領土化を繰り返していなければならない。

と、そんな事を思いつつ、練習しようか、やめとこうか、迷う日々である。次の文章が今後のヒントになるだろうか。

”文学においても、音楽においても、同じことがいえる。個人の優位などはなく、特異な抽象と、集団的な具体があるだけだ。”

2015年3月16日月曜日

RAMEE

「RAMEE」というレーベルのCDをよく買っている。
おしゃれなジャケットとそれに負けない内容で、聞き応えがある。

 コリーナ・マルティの中世リコーダーとクラヴィシンバルム(中世チェンバロ)。
14世紀頃の北イタリアあたりの曲の録音。結構前に買ったものだったけど、最近また引っ張り出してきて聴いてる。
こんなにも装飾音が細かったのか。合わせ物じゃなくて全編ソロ。上手すぎる。必聴です。

今度は、さっきのコリーナ・マルティのクラヴィシトリウム(これも中世チェンバロだけど、さっきのとは音が全然違う)とマイケル・ゴンドコのリュート。ソロと2人で合わせたもの。15世紀のフランスの曲。中世からルネサンスに移行する時期の音楽。華やかさが出てきた。
この2人、最近の若手演奏家の中でもトップクラスだろう。


そして、今日、アマゾンから届いた、新譜。シャインが作曲したものを中心にバッハまで、ドイツもの。コルネット(木管楽器の方)とサックバット(ルネサンス期のトロンボーン)の合奏と、時々歌も。なかなかの地味さ。いや褒めてるんですよ。
INALTOというグループ。インアルトと読むのかな。もう知らないグループばかりになってきたな。





他にもこのレーベルのCDを持っているけど、研究が進んだ今のヨーロッパの古楽界の充実ぶりを示すような良盤が多い。値段が高いのがちょっと困るけど。

2015年3月10日火曜日

お待たせしました。古楽の話題ですよ。
先月は散々サボったので2日連続更新で「やってる!」感を出しときますよ。

6コースリュートの2コースが音程合わなくなってきたので、弦を変えよう!
と、決心したのである。
2コースは確か太さは0.48を使ってたはずだぞ、2コースはストックがいっぱいあるからまだまだ大丈夫、と思いながら、1つ目を交換しようとすると、

あれ?穴に通しにくいな。
よく見ると、

これは、D1068って書いてあるのかな?D1048ではないのかな?
測ってみると0.68だったのでD1068が正解。そら太いわ。っていうか見てわからんかったんか。このぼけなす。

そんで、D1048を2本張ったら、ストックがあと2本。ありゃりゃ。こんなはずではなかったのに。今、買うと円安の影響で高いので困るな。ワタクシのようなぶらぶらしているものには。

で、D1068も使いかけたので、どうしようかな?と考えた結果、4コースの細い方(リュートの低音弦はオクターブで張ることが多いのです)を太いやつに替えよう。うん、それがいいな。

で、交換終了。ちょっと落ち着いた音になったかな。大人な感じ。でも3コースも毛羽立ってきてる。これもそろそろですな。

ちなみに弦はガット弦です。4コースのオクターブ弦を太いものに替えたことで1コース以外がガットになりました。やっぱり自然のもの、特に肉体に関連する素材(ガットは羊の腸)は指にしっくりきますね。一番弾き心地がいい。
(ちなみに、よみラジの時間、超人予備校の羊の話を聞きながら書いております!
http://yomiradi.seesaa.net/article/415341835.html

しかし、リュートって綺麗やなあ。見てるだけで満足する!






2015年3月9日月曜日

有頂天家族

森見登美彦「有頂天家族 二代目の帰朝」を読んでいる。
狸の家族を中心とした、天狗と人間とを巻き込んだ大騒動であった、1巻目は2回も読んだ。

 京都が舞台になっているので、住んだことがある人、まさに今住んでいる人には面白い。

本を2〜3冊同時読みするので、僕は本を読むスピードが遅い。1冊に集中したらいいんやけど。興味の対象が常に2冊以上あって、収集がつかなくなる。去年から読んでるやつは12冊もあって8冊目で中断中。今年は続きを読まな、と思いながら別のを買ってる。

20数年前に買ってた本の文庫版が今頃出てた。分厚すぎて、というより中身が「???」やったので読んでなかった。でも文庫やったら読めた。

本はハードカバーの方が本っぽくてかっこいいけど、読むのは文庫に限るな。

また、古楽の話にならなかったか。。。

2015年3月6日金曜日

ダブ

古楽の話題から遠ざかっていますが、音楽の話題は満載です。

2010年ぐらいから、今まで聴いていなかった、いや、聴くこともないであろう、と思っていたレゲエを聴くようになった。
恐る恐る、ボブマーリーの「LIVE!」から。これは良かった。レゲエに対して偏見がなくなった。それとスカタライツのスカ。そのあと、だんだんとダブものを中心に買っていくことになる。

「ダブ」。
デブじゃないです。ダビングの意味です。50年〜60年代のジャマイカではバンドを雇うと高い、というのでレコードをかけて野外で踊らせるサウンドシステムというのが流行り、自分とこだけしか聴けないミックスのレコードを作ってかけていたという。そのミックスをするときにベースとドラムが異常に大きい音にして歌やギター、キーボードにはエコーを深くかけたものがダブ。今でもCDを買うとダブミックスとかがカップリングで入っていたりしますね。それです。やたらエコーがきいている。

それと同時に聴いていたテクノとレゲエが一緒になったものがある。デトロイトテクノの流れからできてた「Basic Channel」。


ミニマルという現代音楽から来た流れが電子楽器を使うことで、クラブ音楽で流行っていたという。
1995年ぐらいの話。

左はBasic Channelの白盤。比較的おとなしめの曲を集めたもの。
黒盤もあって、そちらはダンスミュージックです。

このCDジャケットの裏には「レコードを買いなさい!」と書いてある。CDじゃなくてビニール盤を!





このBasic Channelはのちにrhythm&soundと名を変えて、ミニマルダブ作品を次々に出してくる。
上はrythm&soundとPaul St.Hiraireの「ショウケース」 。ダブ作品の正当なやり方に則って、歌ものの後に「Version」というダブミックスされた曲が入っている。

右のは歌なしのダブ作品。




左はジャマイカの歌手の歌とrythm&soundの「SEE MI YAH」。
低音中心の電子音と歌。

このあたりのディスクはとんでもなくクール。
レゲエに対して持っていた軽く明るいイメージとは正反対。

ダークでスモーキー。やたら低音はこもっている。










Basic Channelは今は新作を作っていないが、レーベルとして残っている。
ワッキーズというレゲエレーベルを買い取って、少数のプレスしかしなかった80年代の名盤をCD化して出している。

下はホレス・アンディの「ダンスホールスタイル」。まだテープでダブを作り出していた頃か。これもショウケーススタイル。歌の後にダブミックスが続く。


他にもいろいろ買ったけど、このあたりは本当に「いいもの買った!自分えらい!」って褒めてあげたいほど。